事のいきさつとアンチJ-POP
ちょうど去年の今頃、”GRUNGE SOUL”のアートワークをタナカジュリアンさんにお願いすることになり、ぼくは彼に対して、やろうとしていることを明確に示す必要に迫られた。
これまでもぼくに携わったことのある、プロデューサーなり演出家なり、そうした立場の人たちというのは、少なからずいたけれど、ことごとく彼らといい仕事が出来た記憶がない。つまり、誰もぼくをうまく捉えることが出来ていなかったのだ。ぼくについて人それぞれ言うことが違うのは、ぼくが見る人によってまったく違う素材に見える類のアーティストだからだと思う。だから今回は、ぼくのやりたいこと、やろうとしていることを、わかりやすく明確にタナカさんに伝えようと思った。完全でなくとも、最低限ブレないように。
最初にぼくが用意した企画書の中に、いくつかのキーワードがあった。そのうちひとつが”アンチJ-POP”というキーワードだった。もちろんぼくは、あくまでもわかりやすく伝えるためにそう書いたのだが、作業が進むにつれて、タナカさんがまったくJ-POPを聞かない人だということがわかった。そんなタナカさんのクリエイターとしての姿勢や、彼が提示してくるアイデアに触れるにつれ、ぼくは徐々に自分がやるべきことをはっきりと意識しだした。そうして、ぼくはこの作品でアンチJ-POPを強く打ち出すことにした。
J-POP。ぼくは1990年代に作曲家として仕事をさせてもらうようになった。仕事の現場は、ぼくにとって学校以上に学びの場だった。多分、どこの専門学校でも教えていないようなテクニックを、ぼくはそこで覚えて自分のものにしていった。ぼくはわりと曲を量産するほうだといわれるが、それはそのときに覚えたテクニックを使っているからだ。
そう。テクニックを使っているだけなのだ。
そして、そのテクニックを一度捨ててみようとぼくは思った。テクニックがぼくの音楽を閉じ込めていると思ったのだ。つまりアンチJ-POPということは、そのテクニックを使わないということであり、いわば作曲家としてデビューして以来の自分と決別することでもある。これまで、結城義広と名乗って曲を書いて歌ってきた自分と決別する。あるいはそれは、ライブ会場などで、あの曲好きですとか、iTunesでダウンロードしていつも聞いてますなどと言ってくれる、ファンの方を裏切ることになるかもしれない。しかし、それこそがアーティストの宿命なのだ。
ぼくはナツメロを歌う歌謡歌手ではない。
要点をかいつまんで言わせていただくなら、以上が”グランジ・ソウル”の経緯だ。なんでぼくが、あんなビジュアルで作品を打ち出したのかといえば、以上のようなことがその理由だ。今までのぼくではないぼくが歌っている作品だと、印象づけたかった。そして、そこに収録されたラディカルな楽曲を歌うに相応しいビジュアルだったというわけだ。
いろんな人にどうしたの?と訊かれたけれど、その場ではうまく説明できないし、訊かれるたびにいちいち説明するのも面倒なので、ここに書かせていただいた。この作品はまさにアンチJ-POP。日本のポップスばかり聞いてきた人には、音楽に聞こえないような曲を厳選して収録した。ふるいにかけたと言ってもいい。いい加減、今の日本の音楽がかったるいと思っている人に、是非聞いていただきたい。
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