打ち合わせ中にUFOが現れまして...
その日、僕は広告代理店の人と、打ち合わせをしていました。プロモーションビデオの企画書について、僕と代理店の意向は折り合わず、平行線のまま険悪な雰囲気が漂っていました。
すると、同席していたマネージャーの古谷が、それなら私が、今ここにUFOを呼びます、と突然言い出したのです。
天然なところがあって、同性愛者ではないかという噂のある彼でしたが、そこまで突拍子のないことを言う人間ではないし、彼の言葉は彼が喋っているのではなく、とても現実離れした音のように響きました。まるで、テレビかラジオの音声のようにです。
一同は動物の交尾でも見るような目つきで、彼の顔を眺めていました。
ヤバイなと思った僕は、「おまえ、おもしろいね。是非、呼んでみてよ。」と、言いました。すると彼は、おもむろに席を立ち、部屋を出ていったのです。
気まずい空気だけが残された会議室で、僕はため息をつきました。そして、今日は引き上げようと思い、鞄に資料を入れはじめたとき、古谷が部屋のドアを開け、非常階段のところまで来てくれと言うのでした。
マジかこいつ、と思いながら廊下に出ると、開け放たれた非常口からは、かすかに潮の香りがして、"銀色"の物体の一部が見えていました。ビルとビルの間に、やや斜めになりながら、浮かんでいるそれは、間違いなくUFOでした。
乗りたいか、と僕は聞かれました。誰が僕にそう聞いたのかは、わかりません。古谷かもしれないし、UFOの乗組員かもしれないし、あるいは、まったくそういうことではないのかもしれない。
見事な、まるで絵にかいたような、アダムスキー型のUFOは、僕の返答を待ちました。僕は恐怖を覚えましたが、乗りたい、と心の中で思いました。
UFOは僕の真上に移動すると、オレンジ色のやわらかい光線が下の方から伸びてきて、僕をやさしくつつみ込みました。これは例のパターンだな、と僕が思うと、そんなわけないだろ、とUFOは言いました。
そして、作業員風の宇宙人(だと思う)が縄梯子で降りてきて、僕の股の部分につり上げ用のハーネスを取り付けました。つり上げられるときは、ちょっと痛かったけど、なんだ、そういうことだったのかと、僕は少し安心しました。
気がつくと、僕は自分の部屋のベッドの上にいました。オレはいったい、どうしたというのだろう。今日は何曜日で、今は何時なのだろう。
何もする気になれなかったけど、僕は起き上がってテレビをつけました。時刻は、午後4時前。日付は、6月20日月曜日。
僕は台所に行き、水道の蛇口をひねり、コップ一杯の水を飲みました。そして、テーブルに腰掛けて、ゆっくりと考えてみました。
代理店と打ち合わせをしていたのは、先週の金曜日。三日分の記憶がない。
携帯電話が鳴っていたので取ると、古谷でした。○○さん、どうしちゃったんですか。突然会議室から出て行っちゃうし、電話しても全然出ないし。どこ行ってたんですか。何かあったんですか?すごく心配してたんですよ。
古谷はそう言います。僕は、白昼夢を見ていたというのだろうか。だとしたら、僕はどうやって、自分の部屋まで帰ってきたのだろう。
だっておまえが、打ち合わせ中にUFOを呼んで、オレがそのUFOにさらわれて.....などと返すのは、ひどく適切ではない気がしたので、すまない、体調がすぐれなくて、多分疲労だと思う、あと二、三日休ませてほしい、と言って僕は電話を切りました。
僕は冷蔵庫から缶ビールを出して、グラスに半分注ぎ、ジンジャーエールで割って飲みました。そして、立てかけてあったマーティンを手に取り、ソファーに座ってゴードを鳴らしてみました。
その時僕は、ここが僕が元いた世界ではないことに、気付きました。
自分の弾いたギターの音は、明らかによそよそしく、それは僕の弾いたギターの音ではありませんでした。ほんの少し、本当にほんの少しだけ、音は遅れて鳴っているし、弾き方のタッチを変えても、音量が変わるだけで、音のニュアンスが変わらないのです。
ここはなにもかもが、精巧に再現されたニセモノの世界なのだと、僕は直感しました。
僕は携帯電話の着信履歴から、まず古谷に電話をかけてみました。しかし、古谷は出ませんでした。そして、他の履歴にも片っぱしから電話をかけてみましたが、僕の呼びかけに応える者はいませんでした。
僕はソファーに深く腰掛けて、ため息をつきました。さて、どうしたものか。
オレは、元いた世界に、また戻ることができるのだろうか。ここは、誰が何のために作り上げた世界なのだろうか。それとも、これはオレが見ている夢なのではないだろうか。ひょっとすると、オレは気が狂ってしまったのではないだろうか。あるいは、オレはすでに死んでいるのではないだろうか。
いろいろな考えが浮かびましたが、そのどれもが、僕が今おかれている状況に、即した考えではないように思えました。
僕はマーティン(のニセモノ)を手に取り、コードを弾きながら、"ハローイッツミー"を歌いました。
Think of me., youuuu...と歌ったところで、インターフォンが鳴りました。
僕はギターを置いて、玄関まで行きました。ドアを開けると、広告代理店の担当者、井崎が立っていました。でもそれは、あきらかに井崎ではありませんでした。あるいは、井崎という人間など、元々存在していなかった、といった方がいいのかもしれない。
近所の迷惑になるので、大きな声で歌うのはやめてください、と井崎は言いました。
それは申し訳なかった。気をつけます、と僕は便宜的に謝りました。そして、ちょっと上がって、お茶でも飲んでいかないか、と井崎を誘いました。
井崎は少し躊躇したけど、それじゃ、少しだけ、と言って、遠慮気味に部屋に上がりました。
僕は井崎にソファーを促し、アールグレイの紅茶(の多分ニセモノ)を煎れて出しました。そして、僕も同じものを、マグカップに注いで飲みました。悪くない。まったく悪くない。
金曜日はすまなかった、と僕は先に井崎に詫びました。井崎は僕の顔を見ずに、透明のカップに注がれたアールグレイを、じっと見つめていました。
でもね、井崎さん。井崎さんが、井崎さんの立場で言っていることは、僕にもわからなくはないし、井崎さんのこれまでの仕事のことはよく知っているし、今回のことにしたって、井崎さんのプランはよく練られていて、僕なんかより、ずっと先を見越していると思うし、つまり一言で言ってしまうと、すげえな、と思うんた。
"これ"にしたって......と、言ったところで、井崎ははじめて顔をあげました。
これにしたって、とてもよく出来ているし、というか、"出来ている"なんていうレベルじゃないし、この紅茶が本物のアールグレイである必要なんかないんじゃないかって、僕はちょっと思いはじめている。
だけど井崎さん、と言って僕はギターを手にしました。
レイテンシー、と僕らは言うんだけど、音が遅れて鳴るのがわかるんだよ。ほら、ほんの僅かに。それがすごく気持ちわるい。ミュージシャンなら、これくらい誰でも気付く。それに、弦をはじくときのニュアンスのパターンは、二通りや三通りじゃなくて、それこぞ無限にあって、僕らはそこに魂を吹き込んでいるんだ。
僕にとって、この"シミュレーション"は、稚拙だと言わざるをえないし、気を悪くしないでほしいんだけど、僕を騙すんだったら、紅茶の味よりも、まずはここだろ、って思うんだ。なめないでほしいんだよね。
音楽をもっと理解してほしいんだ。"頭"じゃなくて、"体"で。
井崎の顔には、恥の表情が浮かんでいて、悲しそうな目つきで、アールグレイのカップを眺めていました。
それに井崎さん、ここまでやってくれるんだったら、ハーネスはなくない?
僕はざっくばらんにそう言ったけど、井崎のやっていることのクォリティを考えると、僕にはそこが、どうしても解せなかった。
井崎は顔の表情を緩め、照れながら言いました。ああ、あれですか。いや、笑いが取れるんじゃないかと思いまして。ダウンタウンさんのネタなんですよね、あれ...
代理店からの帰り道、僕と古谷は、都内のスタジオにいるエンジニアのところへ、資料を届けに行きました。そしてそのあと、僕の運転する車で、古谷を家まで送りました。
なあ、古谷。オレ、実は同性愛者なんだ、って言ったら、おまえ信じる?
「へ?○○さんがですか?あはは。なんでですか?信じませんよ。」
え、そうなの?
「はい、そういうのは、わかるんです。なんていうのかな、センサーみたいなのがあって、2、3分話しただけで、その人に"そのケ"があるのか、ないのか、ピピピッとわかっちゃうんですよね。その本人が自覚していようと、いなかろうと。」
そういうもんなの?
「そういうもんなんです。」
へえ。
話変わるけどさ、おまえ、UFOとか見たことある?
「ありますよ。」
え、マジ?
いつ?どこで?
「いつっていうか、僕、UFOとか呼べますし。なんだったら、今ここで呼びましょうか?」
いいよ、呼ばなくて。
スタジオに寄ったとき、コンソールルームにあったレスポールを弾かせてもらいました。小さなアンプリファイアで増幅されたその音は、一瞬たりとも遅れることなく、部屋の空気を振動させていました。
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