希望の欠片
タローちゃんこと、山下太郎のアルバム"希望の欠片"を聞いた
キャリア初となるソロアルバム
録音は彼のライブをサポートするメンバーによって、もっともリラックスできる場所といっても過言ではない、中野坂上"aja"にて、2日間にわたって行われた
ボーカルも含めて、ほぼ一発録り
ライブに近い状況での録音
決して背伸びせず、無理をしない姿勢
そんな理想的ともいえる状況のなか演奏は収録され、それがCDパッケージとして収められているという印象だ
自分のリードアルバムでありながらも、オレがギター弾きながら歌うから、みんなオレに合わせてついてきて的な、よくありがちなスタイルではなく、彼の楽曲が、歌が、そしてギターの演奏が、どうにでも解釈できる"自由"な"空間"をそこに提供し、それぞれのメンバーがその場で反応し合うことによって発生する化学変化、つまりそれこそが"音楽"であるというスタイル
それはまさに、ぼくらの社会を、学校や会社といったさまざまな集団を、自由な空間と解釈し、そこにいるそれぞれが反応しあうことによって生ずる感情であったり、気持ちであったりを楽しもうぜ、と言っていることと同じであり、どうしても嫌な閉塞感に覆われがちな今の世界に生きるぼくらにとって、それこそが"希望"の"欠片"なんだよ、というメッセージとして提示されているように感じらる
あるいは、彼が発する歌詞以上に...
ざっくりいってしまうと、演奏主体、即興演奏主体の音楽、たとえばジャズなどでは、こうしたスタイルというのは、さほど珍しくはないのかもしれないが、わりと構成がしっかりしている、いわゆる"歌モノ"でこれをやっているケースは、きわめて稀だといえる
誰もそれをやらない理由は簡単だ
難しいからだ
その難しいところに興味がいき、しかもそれをやってしまうところが、タローちゃんなのだ
要領わるいよな、よくやるよな、、、とか、言われながらも
そんなところに手を出さなけりゃ、とっくの昔にもっと成功していたのに、とか言われながらも
でも、そんなことを言っている連中の音楽こそ、ぼくから言わせると
クソつまらない!!!!
わけで、むしろ"山下太郎"という音楽家こそが、"希望の欠片"そのものなのではないかと思ってしまう
よくしたもので、、、
しかし、それにしても、タローちゃんのアルバムは、なんでいつもジャケットがダサイのだろう
IMONESのファースト、そしてセカンド
前回のSUGAR CANEのジャケットはカッコよかったけど
今回の"希望の欠片"も、なかなかどうしてダサイじゃないか
以前、タローちゃんと他愛もない話をしているときに、ぼくが「実はオレ、"ダサカッコイイ"に、あこがれてるんだよね。」と言うと、彼はその感覚がわからないと言っていたけど、まさにこういうことなんだけどな、、、
[お知らせ系]
結城義広ライブ
****2017年6月24日****
オルタネイティブカフェ | 東京・中野
open / start 19:00 / 19:30
charge
adv / 2,000jpy order 1 drink
door / 2,500jpy order 1 drink
結城義広 / 高津哲也 / 無頼庵
■■■オルタネイティブカフェ■■■
東京都中野区新井1-3-3 カーサ巴102
03-5942-5544
結城義広リリース
2017.03.29『destiny』
2017.03.29『また明日会えるよね』
2017.04.26『ballade』
2017.05.31『darlin"』
試聴&詳細 → https://www.yoshihiro-yuki.com/music
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