見えないパンチとラブソング
先日、SSWのうえはらまさみつと、深夜のデニーズでとりとめのない話をしているとき、話題が恋愛の話におよんだ。そういえばぼくは、生まれてこのかた、彼女がほしいと思ったことがないと、そのとき気付いた。誰かを好きになることはあるし、交際することもあるけれど、漠然と、彼女が欲しいと思ったことは一度もない。
だからぼくはラブソングが得意なのではないだろうか。
ぼくの歌を聞いて、そこにぼくの恋愛遍歴を読み取る人がいるけれど、ぼくは実体験をそのまま歌にすることはない。偏見かもしれないが、歌でも小説でも、実体験に基づくストーリーでしか作品をつくれない人は、想像力が乏しいのではないかと思うし、そのやり方では寡作にならざるをえないと思う。
それでも、その数少ない作品に力があればそれでいいと思うが(私小説にも優れた作品がたくさんある)、ぼくはそのやりかたでは作品をつくらない。ぼくの作品はすべて、想像力を駆使して書かれたものだ。妄想ではない。想像だ。でなければ、女性目線のラブソングの歌詞を、男のぼくがどうやって書く?
にもかかわらず、目の前で歌うぼくの歌を聞く人の中には、ぼくが実体験に基づいてその歌を歌っていると受け取る人がいるようで、それはいたしかたないことでもあるし、ぼくからすれば、してやったりでもあるけれど、かつての日本のポピュラーソング界において、そういう私小説的な音楽が主流であった(というか、そういう音楽である体をした音楽が主流だった)ことが、その原因なのかもしれない。
ぼくの音楽はフォークソングではない。
モテるでしょと、よく言われるが、そうでもないと思う。身近な女性に好意があれば、告白される前に自分からアプローチするし、そうでもない女性に対してはガードが堅いので、告白されることはほとんどない。
ボクサーの斉藤幸伸丸曰く、見えているパンチは当たってもこらえられるが、見えないパンチはもらうと、大きなダメージになる、と。
そう。いくらガードしていても、見えないパンチがたまに飛んでくる。そんなとき、ぼくは大きなダメージを受けてしまうわけだか...
0コメント