体力のなくなった老人の遊び
アンデルセン童話、裸の王様
ことわざの、井の中の蛙大海を知らず
今日は、これがキーワード。ぼくがこれらから自由になれたというお話しです。
ある番組で、映画監督の天願大介さんが、日本の映画が海外のコンペティションで勝てない理由として、そのフィジカルの弱さを指摘していました。
今の日本の映画は、同じ価値観を共有する者同士にしか通じない、微妙な価値観の差異を表現するものが多く、それは”体力のなくなった老人の遊び”のようなもので、その価値観を共有しない者には通じないとしたうえで、一歩日本の外に出てしまえば、強い体力を持った海外の作品に一撃で倒されてしまうというのです。
体力のなくなった老人の遊び。その通りだとぼくは思いました。
年に数回、酷い現場に居合わせることがあります。仲間内の芸事のようなライブ会場、あるいはそのような催しです。要は、ぼくが一番ダサいと思う人たちの現場です。ましてや、その仲間内ではとにかくもてはやされ、すでに誰もダメ出しができない状況になっているとしたら。
当たり前だけど、そのグループ以外でその芸は通用しません。ファン以外の人々、違う属性の人々、あるいは違う世代の人々、さらには世界の人々に、その芸は通用しません。
ぼくとしては、そういう現場に居合わせることは、実に居心地が悪いので、なるべく早くその場を去ることを考えます。批判するでもなく、理由を告げるでもなく、ただ去ることにしています。でも、本来ならちゃんと言うべきなのかもしれません。
この現状が気持ち悪いと。
だから、ぼくは去るのだ、と。そうはっきり言うべきなのかもしれません。もしかすると、ぼくは優しいのではなく、ただ単に冷たいだけなのかもしれません。
でも、内側に閉じている人に何かを言ったところで、その内側の理屈で解決(したことに)するだろうから、言い損になるとは思いますが...本来は、内側にいる誰かが勇気を持って言うべきなんです。
オレたち、タメしゃね?と。
居心地のいい、その内輪の外に出て行く覚悟があるのなら、の話ですが。。。
そうやってぼくは、今年もいろいろな内輪ノリから離脱させていただきました。それはつまり、自由になれたということです。そして、アルバムを完成させました。
実に清々しい。
アルバムは、今のところまだまだだけど、時間をかけて浸透していくと思います。今度ばかりは、その手応えがあるので。今までとは、ちょっと違います。
今年の重大ニュースとかって、いろいろな人が言っていますが、ぼくにも言わせていただくなら、アルバム”グランジ・ソウル”を出したこと、というよりも、それを作りながら、かったるくてダサい、さまざまなしがらみから自由になれたことでしょう。
冒頭の天願さんのくだりは、ちょうどアルバムの制作が佳境を迎えていた、今年の初め頃に見たテレビ番組によるものです。体力のなくなった老人の遊び。その言葉で、ぼくは思い切りハンドルを切り、アクセルを踏むことができました。
アルバム制作は、思い起こせば大変だったけと、作ることによって自分自身の目が覚めたというか。裸の王様や井の中の蛙と、心置きなく訣別できる自信になったというか。これを作れてよかったと、本気で思います。
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