カート・コバーンとリアーナとぼく part 4
差別。差別的表現。倫理的な善悪云々はともかくとして、創作表現において、差別がいけないという認識が、ぼくにはない。
アルバム”グランジ・ソウル”の根底に流れるテーマは、一言で言ってしまうと、それは”自由”ということになるが、ぼくはその自由を阻むものを、差別という方法で排除しようと考えていた。
自由を阻むもの。それはさまざまだが、最終的には自分のことだ。自分の中にある、たとえば固定観念であったり、先入観であったり、さらには自意識であったり。それが自分の自由を阻んでいるし、他人の自由を阻害しようとする。ぼくはそれらを”醜いもの”として、”グランジ・ソウル”の歌詞の中に登場させ、辛辣な言葉で攻撃するという手法をとった。
グランジソウル歌詞↓↓
リアーナのアルバム”rated R”。このアルバムのアートワークを見たとき、ぼくはそこに差別的な表現が内在するのを感じた。モデルとしての実績もあるリアーナは、その暴力的ともいえる美しい肢体を堂々と露出し、それはあたかも、なにかを威圧して排除し、差別しているかのような印象をぼくに与えた。
一方、グランジファッションは1990年代のニルヴァーナの登場によって、一気に全世界に広まったファッションだ。ヨレヨレのネルシャツ、穴の空いたジーンズ。まるで乞食のようなそのファッションは、一定の世代以上の人たち、あるいはある種の属性の人たちが眉をひそめるものだった。
眉をひそめる。それは理解出来ないということだ。そして、自分たちを排除する可能性のある、勢いのある新しい潮流に対して警戒し、嫉妬しているということだ。
ぼくは、リアーナが威圧して排除したなにかと、グランジファッションに眉をひそめた人たちが、同類ではないかと考えた。そして、"グランジ・ソウル"という作品において、差別すべきターゲットがそれであると確信した。
“グランジ・ソウル”収録曲
“death feeling in the sky” music video
ユウキヨシヒロ/グランジ・ソウル
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全国のCDショップ、およびウェブショップにて
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