活況づいていないからこそ、お客さん目線
先日、知人のブログでひどい話を読んだ。訪れたライブハウスで、とても嫌な思いをしたという内容だ。↓↓
それは少し前の話で、その後改善されたのかどうかはよくわからないが、なんというのか、演奏する側、演奏する場を提供する側のエゴが、悪い形で出ている典型ではないかと、ぼくは思った。いうまでもなく、ライブハウスは、音楽を聴きたい人が演奏を聴きに訪れる場所だ。その際支払われるチャージが演者のギャランティになり、お店はその人たちに飲食を提供し、それを収益とする。というのが、本来の基本的な構造だ。つまり、そこに音楽を聴きに訪れた人たちは、演者にとってもお店にとっても、お客さんなのだ。あたりまえの話だ。であれば、そのお客さんたちが時間を作ってそこへ訪れ、チャージを払って音楽を聴きたい、その場の空気や飲食を楽しみたいと思うような状況を、演者もお店も作らなくてはならない。もしくは、少なくともそういうムードを醸し出さなければならない。
HPのメールフォーム経由で、主にライブハウスからの出演オファーがくる。文面は、おそらくコピーペーストで、何人にも同じ内容のメールが届いているのではないかと思うが、あきれてしまうほど旧態依然という印象。お店にとって、出演者は経営原資だ。出演者がいなければ、経営は成り立たない。あの手この手で不安を煽り、継続的にライブ出演するよう、出演者にもちかける。でもまあ、それはいいとしよう。であれば、なぜもう一歩踏み込んで、お客さんがそこに来たいと思うような状況を、作ろうとしないのか。ブッキングを埋めて、あとは出演者任せ。出演者は出演者で、今度ライブがあるから見に来てくださいと、知人に連絡をする。そんなライブに、義理以外で誰が行くだろう。傍目には、完全に時代に置いていかれた人たちと見えているのではないだろうか。
それがあきらかに楽しそうなイベントであるか、あるいは本当にすごい演奏をする一部の人たちが出演するイベントでない限り、ぼくはよほどの義理以外でライブを見に行かない。今度ライブがあるのでもしよかったらと言われたからといって、さほど面識もなければ、興味もない人のライブにぼくが足を運ぶと、なぜその人たちは思うのだろう。自分でライブをやっておきながらなんだよと言われるかもしれないが、ぼくは少なくとももう少し意識の高いイベントを企画したいと思っているし、ぼくが自らの意思で足を運ぶライブやイベントがどのような状況で執り行われているのかを、出演オファーをしてくるお店のスタッフや、ぼくをライブに来てくれと誘う人たちには、ちゃんと知ってほしいのだ。はなしはそれからだ。
以前のように音楽の現場は活況づいていない。そんな今だからこそ、もっと訪れるお客さんの目線で、イベントなりライブなりを企画するべきなのだと思う。
■結城義広 “GRUNGE SOUL”■
"幸せに興味はない。自由になれる瞬間があればそれでいい " プリンス、ディアンジェロのDNAを持つ日本人SSW、結城義広。独自の感性で、ソウルミュージックをオルタナティブ解釈。そのサウンドイメージは、まさに"グランジ・ソウル"。パンク~グランジの精神を継承する過激な歌詞で、レアグルーブのうねりを乗りこなす。書き下ろし40曲の中から厳選された全10曲。王道の真逆を行く、ソウルミュージックの新概念。
“グランジ・ソウル”収録曲
“death feeling in the sky” MV
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