Yoshihiro Yuki Official Blog

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音楽ビジネスの現状と活路について考える

他の産業からみた音楽産業は、もはや斜陽産業ですらない。


CDはもう誰も買わない。スティーブ・ジョブズがi-podを、そしてi-phoneを発表した時点で、こうなることは決まっていた。


JASRACについて悪く言う人がいるが、作者の側からすれば、全国あまねく使用者から使用料を徴収してくれるのだから、これは本来ありがたい団体のはずだ。しかし現状はどうかというと、徴収しやすいところからは厳しく徴収するが、徴収しずらいところについては、まったく対応できていない。例えば海外のサーバーから音楽が"無料"でダウンロードできるとする。これに対してJASRACは、何の手を打つこともできない。JASRACは日本の"一般社団法人"なのだ。


音楽著作権について、わかっていない人が多い。一般の人ならまだしも、例えばぼくのまわりにいる、ライブハウス等で活動している類のミュージシャンの中にも、本当になにもわかっていない人が多い。そしてぼくは、とんちんかんなことを言っている彼らを見るたびに、二十歳そこそこの駆け出しならまだしも、いい歳をしてこの人はなにを言っているのだろうと、思ってしまう。


でも、それが現状なのだ。


一度"無料"になってしまった音楽に、再び価格を設定するのは難しい。


アイドルグループが、CDになんらかの付加価値をつけて、売り上げを伸ばしている。それもひとつのやり方だと、ぼくは思う。あるいはアーティストの多くは、それについては違和感をおぼえるかもしれない。しかし、CDが売れないからといって、アナログレコードをプレスしてみたりという、極端な牽制球的販売プランにしても、それは音楽に由来する付加価値を利用した販売方法であることに変わりはない。


レコードメーカーは、もはやここに活路を見出すしかないのでなかろうか。


音楽に対していかに付加価値をつけるか。"モノ"としてのレコードパッケージ、"モノ"としてのCDパッケージ。所有する意味のあるレコードパッケージ、所有する意味のあるCDパッケージ。音楽データはいくらでもコピーできるが、パッケージはそうはいかない。

 

では、楽曲の作者や原盤権者は、どこに活路を見出せばいいのだろう。


国内における楽曲の実演、および放送における使用料については、(そのやり方の不備云々についてはともかく)JASRACがきっちりと徴収可能な使用料といえる。


しかし、レコードメーカーの売上げが落ちて、そこからの使用料が減っているとしたら、作者や原盤権者はその穴埋めを考えなくてはならない。


シンプルに考えれば、末端のユーザー、つまり一般のリスナーが音楽に対価を支払わないのであれば、その対価を支払う誰かに音楽を使用してもらうことを、まずは考えるべきだ。具体的には、予算が潤沢な企業、あるいは映画や演劇等での使用が、その候補と考えられる。

しかし、楽曲ができたからといって、原盤ができたからといって、それをすぐに使ってもらえるほど、物事は単純ではない。パイは限られている。競合は多い。しかるべきクライアントにアプローチするためには、営業力とプレゼンテーション能力が不可欠だ。

営業力はマネージメントと言い換えてもいい。そしてプレゼンテーションに必要なのは企画力であり、それがコンペティションであるならば、他との差別化が必要となる。マーケットやクライアントのニーズを、事前にリサーチすることも必要かもしれない。

こんな話をしていると、いや、オレは純粋に音楽がやりたいだけなのだと、志の高いアーティストは言うかもしれない。

それを否定するつもりはない。むしろそうあるべきだとさえ思う。こんな時代だからこそ、原点に回帰して、地に足のついた音楽をやるべきではないのか。マーケットの顔色をうかがいながら、浮足立ったことをするのは、こんな時代だからこそおかしなことになりはしないのか。
 
まさに正論で、作り手・送り手のスタンスはそうあるべきだと思うし、逆の手順を取る人たちを、ぼくは基本的に信用しない。
 
でも、今は1990年代ではない。良い音楽をつくれば、あるいは演奏すれば、それだけで人々が音楽を享受するというロジックは、残念ながら幼稚な幻想にすぎない。"幼稚"だというのは、それが作り手側・送り手側の立場しか考慮していない、片手落ちなロジックだからだ。良い音楽をつくる、あるいは演奏するだけでは、もはや人は聞かないし、ライブを見に来たりもしない。
 
作り手・送り手は、音楽を聞く人、ライブを見にくる人の気持ちを、もっと知る必要がある。
 
趣味でやっているならともかく、いやしくも音楽で生計を立てようと思っているなら、真剣に考えるべきだ。誰が自分の音楽に、あるいは演奏に対価を支払うのだろうかと。それはライブ会場に足をはこんでくれる、10数人の知り合いだけではだめなのだ。
 
クライアントへの営業が自分でできないのなら、それを代行してくれるマネージャーやエージェントを探す。そして自分の音楽にどのような企画がつけられるのかを、一緒になって考える。さらにそのプランに則って楽曲を精査し、原盤を制作する。

それが仮にプレゼンテーションに失敗し、コンペティションに落ちたとしても、そこには今後の販売についてのアウトラインが残こるのではないだろうか。レコードメーカーが音楽の付加価値について模索しているのであれば、そこに具体的なイメージを与えることができるのではないだろうか。

音楽はアーティストが発信するべきものだと思う。レコードメーカーやプロダクションの企画であってはならない。

だとしたら、アーティストが、作者が、演奏者が、そして原盤制作者がひとつになり、知恵を出し合い、使用者としてのレコードメーカー、あるいはクライアントにプレゼンテーションできる企画を立案するべきではないのだろうか。
 
不遇の時代とあきらめる人の音楽は、なぜかとてもつまらなく感じる。
 
 
2016年6月25日 結城義広

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